人生を考える

人に言えないけど言いたい話をここに書き留める

顔が可愛いのは才能

顔が可愛いだけで女の人生は得に変わる
女性の社会進出が進み、家電に溢れ家事が楽になり、とはいえ専業主婦も選べるこの時代の日本という国では
長い人間の歴史の中では、おんなにとってかなり有利な時場所だと思う。
しかし、不細工であれば別だ。不細工ならば男よりも損をすると思う。
そして男なんかより顔のかわいい女が一番得をすると思う(平均値の話だ)

男は顔が不細工でも、話が面白かったり、優しかったり運動ができたりすればもてることができる。
最終的にはお金を持っていると一番モテやすいが、
お金を稼ぐことが一番努力でカバーできるようなきがする。
だから、顔という生まれつきだけで得をする女より、男の方が苦労しないと得できないし、逆に不細工にも
逆転のチャンスがある。と思う。
しかし、努力も大変だ。大変な思いをして努力する人間こそ最終的に幸せになって欲しいと思う。
が、努力できる、というのも才能と思うこともある。本当に苦労して努力している人がいる。そういう人は本当に素晴らしい。
が、そこまで苦労しないで努力し続けられる人もいる。
例えば、才能に満ち溢れ、人から一目置かれている人は
やはり凡人よりは努力へのモチベーションを保ちやすいと思う。

また、同じだけ練習するにしても、そのもの自体が好きか嫌いかで辛さが異なると同じように
努力が割と受け入れられるか否かもかなり影響を与えると思う。

ということで、努力できること、それもまた生まれ持った才能であったりするともいえるのかなと。
そうしたら、生まれつき美人というのもまた才能
ということかなと思った。
美人は得、それは大多数の意見であり、そこに努力が伴わないので(外力による努力はまた別の意味で受け入れられないことが多い)
不美人がどうしても嫉妬してしまう素になるともう。
しかし、スポーツができるとか、勉強ができるとか、音楽の才能があるとか、これらを努力により保ったりレベルをあげる人たちと同じように
美人で得をする人間は生まれつきの才能を保つ努力をしているだけなのだろうと。
当然美人が美人を保つ努力は不美人が美人になろうとする努力よりも圧倒的に楽だ。
それは美人の楽しさを知っていることも大きい。
なんとなく、スポーツの才能がある人がそれを伸ばすための努力の方がよっぽど大変そうに見えるため、
そういった人たちの方が苦労しており尊敬され、嫉妬をされないということがあるかもしれないし
私もスポーツや勉強の努力の方が大変だと思うのだがやはり、
運動音痴よりも才能のある人の方がスポーツの努力も易しいし、
馬鹿より天才の方が勉強の努力は易しい、芸術めんなどその他も同様、と思うのだ。
ということで、美人に嫉妬する必要も無いし努力する人間を尊敬する必要も無いし、
努力できる人間になることを目指さないといけないと思う必要は無いと思う。

ちなみに私は努力が大嫌いだ

さて、ここまで書いて、もう一つの自分の中の命題を書きたい。
今までの文章では、才能があることやモテることがあたかも幸せである前提のような文になっているが、
果たしてどうなのか。
一旦ここでは簡潔にしたいため才能がある=お金を稼げる、地位や名声を手に入れられると置き換えておく。
世の中で成功者というとたいていお金を稼いだ人である。そして地位や名声を手に入れる。
女性の場合はその妻であることが女性版での同等の成功扱いになることが多い気がする。そして、これは自らお金を稼いだ成功者自身の女性であっても、成功者の妻ポジションであっても、必ず美人ならばもてはやされる、まず顔が判定される。という現象があると思う。
そしてたいてい成功者の妻ポジションは美人であることがマージンになる。

シンデレラなんかのお時話も、結局は金と地位や権力がある男と美人が幸せになる話である。

つまり、人の考える幸せは男女ともに金を得ること、そして男はそれにより美人を得ること、なのだろうか。

きっと本当の幸せは人によって違うから、多くの人間に共通でわかりやすい基準を出そうとすると
こうなってしまうだけなのかもしれない。

そうだとしたら、各々が幸せと感じられる何かは、
各々が責任をもって自分のために考えることが実はとても有意義なことなのではないか。

なお、私の幸せに関する独自の考えを書くと、まず、お金は不幸を回避する道具と思っている。
そのためなさすぎると不幸だが、あればあるだけ幸せになれる訳では無い。
次に美人はモテるが、モテることが幸せかというと、やはりそうではなく、
自分の好きな人に好かれることがより幸せだと思う。
ただ、モテるということはそれだけ多くの人に優しくしてもらえるのでその面ではかなり幸せであるし
好きな人に好かれる率が上がるのと、そもそももてた方が好きな人も見つけやすいし好きになりやすいのでトータルで考えれば幸せではあるのだが、
なまじモテることは好きな人に好かれる幸せを緩和させてしまうということを考えれば必ずしも幸せではないと思う。

んー、これに関してはやはりもてた方が幸せ論の方が世間一般では強いかもしれないな。

結局なんだかんだ言って、人は生まれつき才能と環境が与えられており、それにより、人生がかなり決まってくる。
人生はいくらでも変えられるが、
素質と環境によっては変えることがより困難である。
生まれ持った境遇を跳ね除けられるのもまた才能だと思う。

全然まとめられないが、とりあえず私の思うことは、
幸せというのは幸せを感じる能力の高さがかなり重要だということ。

周りから見たらどんな幸せな状況でも、鬱病だったら不幸だと思っちゃうし。

私は厭世観の強い人間だ。
小学生高学年頃から母親が早死したいとか、人生がしんどいと思っていることが伺われるような発言をするのをよく聞いた。
私はこれにかなり染まったと思う。
別に母親のせいではないが、思い込んでしまったものが、解けずにいる。
でも思い起こすと
幼稚園頃にもう生きててよかったと思うことがあったか自問して、無かったと思った記憶があるので
生まれつきの感覚なのかもしれない。

私は自分に自信がある。
見た目は芸能人レベルには程遠いが、どのコミュニティでも美人扱いされる。
愛嬌とユーモアとサバサバした多少の毒舌と積極性とフランクな明るさがあり、
年上には男女問わず良くしてもらえる。(ここでひとつ、年上の女性に気に入られるのは、努力して仕事などやるべき事に取り組んでいるように見られているからであることが大きいと思うので付け加えておく)
また、年齢問わずそれなりにモテる(それなり、だと持てると言っていいのかわからないが)
見た目だけでも好かれることもあれば、性格で好かれることもある(男は中身を褒めてもただ見た目がすきだから中身も褒める気になっただけのことも多いからこれで中身がいいと胸を貼ることは出来ないが、仕事関係で男女とも褒められるのでとりあえずいいことにする)
そんでもってモテなくないギリギリの中堅どこの学歴(女は高学歴はモテなかったりするので、中堅クラスがモテやすいと思う。)
そんでもって仕事においては責任感が強く他人に迷惑をかけないことに気を配りつつ、できる限り努力をする。(上で括弧書きで書いたにも関わらずまた書いたのは人に好かれるために重要な要素だと思うし、そのためにより意識してやっている訳でもあるからである)

とこんだけ書いておいて、まぁここでは自慢をしたいわけではなく、(できるならしたいが)
もし勘違いだったとしても、このレベルで自分のことを褒めることが出来るくらいに自分に自信を持っているということが伝われば良い。

幸せそうな心の持ちようだと思いませんか。

しかし私は自分が好きではない。自分が好きではないので自分の子供をうみたくない。(子供をうみたくない理由は、他人の命に責任を持つのが大変困難とかんじるための方が大きいが)

そして私は自殺未遂を2,3回している。
抗鬱剤を処方されたこともある。

自分にこれだけ自信を持っていい面を他人にアピールできる人間が、
人生を早く終わらせた方がいいと思うのである。

幸せとはなんなのだろう。
少なくともわたしは心の持ちようを変えなくてはいけない。